働くということ

「内田樹先生 街場の至言」より  


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>「仕事をする」というのは「私のもっているどんな知識を求め、私の蔵しているどんな能力を必要と
  しているのかがわからない他者」とコラボレーションすることである。


>自分の本性であるとか、自分の能力であるとかいうものは自己評価するものではなく、「まわりが
  決めてくれること」なのであるから、それに任せておけばよろしい。


>「成熟した公民」とは、端的に言えば、「不快な隣人の存在に耐えられる人間」のことである。
  自分と政治的意見が違い、経済的ポジションが違い、宗教が違い、言語が違い、価値観も美意識も
  違う隣人たちと、それでもにこやかに共生できるだけの度量をもつ人間のことである。


>自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり
 口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せ
 られる。残酷なようだが、そういうことである。


>「私は『そんな仕事』のためにここにいるんじゃない」といって腕組みしているような人間は、
 どんな現場でも使い物にならない。どんな仕事をするのかは自分で決めるのではない。
 「これやって」というかたちで負託されるものである。


>若いときは「仕事ができる」ということに焦点化して若い人を評価する。個人の能力を見るのである。
 しかし、長く集団で仕事をしてくると、「個人の能力」というのは単品ではあまり意味がないということが
 わかってくる。


>誰もが「自分の仕事」だと思わない仕事は「自分の仕事」であるというのが「労働」の基本ルールである。
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by ikunosange | 2011-03-02 16:25 | 日々思うこと
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