聴くこととコミュニケーション

先回、若いケアマネのコミュニケーション能力について書きましたが、さらに続き。

ケアマネとの関係がうまくいかなくて困っている家族がいます。
「あの人には相談ができない」「できたら別の人にしてほしい」

そうはっきり言われてしまうと、自分なりにがんばってるのにとガッカリするケアマネさんたち。

家族や本人が話す言葉は時として、一番の核心部分を避けて、あえてその周囲を行ったり来たりする場合があります。が、それを聴くケアマネさんがその言葉の表面の部分だけにしか反応しなかったり、関心がなかったり、イライラして結論を急ごうとする。
すると「この人わかってない」となってしまう。


一見、まとまりのない、脈絡のない話を家族や本人が繰り返す場合においても、実はその「まとまりのなさ」や「脈絡のなさ」や「繰り返し」の中にこそ、本当の核心は隠れているのではないでしょうか。しかし、わたしたちが会話において通常求めるものは、その言葉の表面的な意味や、情報としての有用性であり、そのことにしか関心が持てなくなってしまっているのではないか。


しかし、コミュニケーションという広義で捉えると、相手は、「まとまらず」「脈絡のない」「繰り返し」を聴かせること(行為)にこそ意味を持っているのであり、まず自分の陣地に相手を迎え入れ、その郷に従ってもらうことがようやく出発点である、ということもあるのです。


Mさんというケアマネさん。
何度も何度も、ある利用者さんの家族の家に足を運び、利用者さん本人への支援というよりも、家族の支援のために働いている様子。
今日も朝から呼び出されてこれから訪問。ここんところ毎日。
わたしが「またですか」と訊くと、「今がヤマだから」と苦にもしていない。
わたしが心配するのは、このままいくと家族がMさんに依存して、そのことが逆に関係をこじらせるのではないか、援助者は「つかずはなれず」がいいのではないかと思うのですが、それを言ってもMさんは、「だれかが聴いてあげんといけんから」と、今日もその家に向かう。


ある病院の看護師さんが教えてくれた話。
ある日その病院の玄関にお酒臭い若い男性が文字通り「倒れこんで」いて、来院の理由を尋ねると、「役所に訊いたらここに行けと言われたので来た」とのこと。
検査をしてもどこも悪くないので帰るように勧めたところ、暴れだして大変だったらしい。

「こういうときはどうしてあげたらよかったんだろうか」と看護師さん。
「そういうときは、うちのMさんに電話してください」とわたし。

年齢や障がいで人を分類する専門性では解決できない問題があります。だれかが聴いてさえくれれば、解決に結びつくかもしれない問題もあります。
まず聴いて、聴いて、聴き飽きるほどに聴き続けることでやっと、問題に向き合うきっかけが作れる問題が、たぶんこの世の中には人間の数のさらに何倍もあって、それを愚直に、根気よく聴き続けることでしか発揮できない専門性ももしかしたらこの世にはある、とMさんは言いたいのかもしれません。

もしかしたら本当の専門性というのは、それを放り出し、あきらめた末にはじめて身につくものなのかもしれませんね。
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by ikunosange | 2010-02-09 00:14 | 日々思うこと
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